2008年07月02日

最近頭から離れないこと。「君のためなら千回でも」

 みんなが一度に幸せになることは、たぶんできない。「誰かの願いが叶うころ」を聴いてから、そう思うようになった。自分が幸せになったら、その分どこかで誰かが不幸になる気がする。だから、逆に自分が不幸になった分誰かが幸せになっていると思った方が気が楽なんじゃないか。「クワイエットルーム」の蒼井優ちゃんの役の子の考えにも似てる。
 ここで突然もう5、6年前に聴いた「身代わりマリー」「SM作家」(筋少もとい特撮の「爆誕」の曲目)を思い出す。全く同じ思考回路だった。それとも刷り込まれちゃったのか。いぞうの回見てピンと来た人はぜひお友達になりましょう♪
 でも、多分、そう思ってもいい相手というのは存在する。忠実である、というのは単なる上下関係ではない。その人のために命を捨ててもいいというのは、最大の愛情・信頼だと思う。
 今回観た映画はよくわからなかったとこもある。ただ、本当に、友に忠実な少年の姿がとても眩しく見えた。そして、こういう人を確かに1人は知っていた。殴られても、殴り返さない人。非暴力。主人公は最初とてもいやな奴で、この本を美談として書いたこと自体なんかやな奴という気さえするのだが、それでも教えられることはたくさんあった。報復の醜さ。世界中の子どもを全ては救えない。電車の吊り広告にあった、3秒に1人死んでいくという現実。なのになぜ自分は生きているんだろう、役に立つわけでもなく、誰かを幸せにできるような力もない。
 アキバで事件起こした人にも、もう少しだけ考えてほしかった。自分は孤独だと卑屈になる前に、もう少し自分の周りより外側を見てほしかった。映画の主人公が変われたのはその友人のお蔭かもしれず、自己満足にしか終わらないのかもしれないが、それにしたってもっと不幸な子どもたちがいる。中学生になるかならないかで、常に心身を脅かされ、自分は汚れているとか、生きているべきじゃないとか思ったり、その日の食べ物にも困ったり…。
 実際何ができるわけでもない。結局世界を動かすのは経済だから。だからこそのnoblesse obligeだと思う。でも、そんな力もなく何も出来ないならせめて、自分の痛みは誰かの痛みと引き換えだと思うことにすれば、自分の幸せより他人の幸せを祈る方が世界はよくなるんじゃないかなあ?キリストの受難も、鎌倉の大仏も、崇高に見えるのは同じ理由のような気がする。

 あと、もう一つ非常に短絡的なこと。世界中で政治のトップに立つのは男だから戦争がなくならないんじゃないか、とか。女性ならとりあえず協調路線に立ちそうだから。まあすべて、真夜中のPMSの世迷言ですけどね…。



「やっかいはわかってた でも愛したんだ」
「身代わり この世界は 誰かの身代わりさ」(「身代わりマリー」)

「私の不幸が、涙が、苦しみと死が、世界中の人々に幸福をもたらすのでございます」
「そういうふうに考えた時初めて人間の生命は意味を持ち、きらきらと輝き始めるのでございます」(「SM作家」)


posted by くらぽー at 03:38| Comment(0) | TrackBack(1) | 映画・演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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