2008年10月06日

小論文「ジェンダーの意義」

この方のブログの記事をもとに、男女の性別的役割について小論文作って
みました。あとは、最近出た「ソフトインテリジェンス」という本がヒント…(読んでもないのに
http://d.hatena.ne.jp/cosmo_sophy/20041119


 現代社会においては、イニシエーションが認められなくなってから男女の性別的役割(以下ジェンダー)を明確にさせる必要性やメリットは少なくなっている。そのような通過儀礼がなくなったからといって、実際にジェンダーも消滅しつつあるのかということには一考を要する。また、ジェンダーを撤廃しようという考えに対しても私たちは全面的に賛成できるだろうか。
 そもそも、なぜジェンダーは生まれたのかを考えると、一般的に男性の方が体格も大きく運動能力に長けているからということが大きいだろう。これに対しては、女性より体格の小さい男性もいれば、運動能力に恵まれた女性もおり、個人差ということが言えるかもしれない。しかし、未開社会でのイニシエーションが苦痛や恐怖を伴うものであることを考えれば、それは敵や猛獣との戦闘を予定として組まれた男性のための成長プログラムである。一方女性は、子どもを産み育てるという役割があるので、家事ができるようになることが一種のイニシエーションとされただろう。これはつまり、ジェンダーは本来の男女の身体的構造差異の派生であると考えた方が自然である。それはまた、脳の構造にも見て取れる。男女間の脳の構造の違いはいくつかあるが、代表的なのは右脳と左脳をつなぐ脳梁の形と大きさが違うところである。このことが空間認識や言語能力など男女の思考の差異を形成しているともいわれている。こう考えてみると、原始未開社会は男尊女卑であったと考えられているが、そのこととジェンダーを確定するイニシエーションの意義はまた別と考えるべきである。
 男女間の差異はまた、脳の構造の違いはいくつかあるが、一般的なのは右脳と左脳をつなぐ脳梁の形と大きさが違うところである。このことが、空間認識や言語能力など、男女の思考の差異を形成しているとも言われている。自分の経験をふりかえると、学生時代のアルバイトで料亭の配膳や接客をした時気づいたことがある。サービス業とは顧客の好みに合わせていく職業であるから、細かい気配りや感じのよい態度が望まれる。すると、脳の分野が細かく分かれている男性に比べて、左右の脳を全体的に使いながら物事を処理する女性の方がこの場合には適しているということができる。ジェンダーをイニシエーションから離れた近代のもっと社会的な次元で考えると、やはり男性には男性に、女性には女性に適した職業というものがあってもおかしくないのではないだろうか。
 以上のように、イニシエーションがなくなった現代社会においても、依然として男女の機能的構造差異は存在するのであり、その派生である性別的役割もまた完全になくなることはないのである。肝要なのは、ジェンダーを男女差別と見るのではなく、個人差を認めた上でお互いを補い合う差異として認めることなのだと私は思う。


posted by くらぽー at 00:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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