2010年07月27日

花と鳥に寄せる巡り合わせ

(スピリチュアルとかでもないんだけど科学的な人にはつまらない話です)

 最近オランジュリーであやめの花のスカーフを見つけてから、いろいろと不思議なことに行き当たる。

・ゴッホのあやめの絵は、北斎の「あやめときりぎりす」という絵からインスパイアされたものだったと知る
 →実はその前日にスーパーの駐車場で死にかけたバッタっぽい虫を見かけて、あれはなんだろうと思ったら翌日死んでしまっていて、それが北斎の絵とよく似ていてキリギリスだと思った。(それで「きりぎりす おまえもひとりで逝ったのか あやめの後を 吾の代わりに」 ができた)

・あやめの花がでてくる短歌を探すと意外にない(昔読まれたあやめ草はショウブの方)
 →「あやめ鳥」というのはほととぎすの別名と知る。
  http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/179945/m0u/
 →さつきも杜鵑花(ほととぎす)が鳴く頃に咲く花であることから「杜鵑花」とも書くらしい。
   http://www.hana300.com/satuki.html
 単に5月の花で3文字だったら女の子らしいかなと思った二つの花は、実はとってもつながりが深かった。
 そして、ほととぎすは、昔兄弟を亡くした男が変身したものだという言い伝えもある。だから悲しい声で鳴くと昔から言われてきた。
「声はして 涙は見えぬ時鳥 わが衣手の ひつをからなむ」(古今集 149 よみ人しらず)
 五月は恋人たちが会うのを禁じられた季節でもあったんだって。


「さつき待つ 花橘の香をかげば 昔の人の袖の香ぞする」(古今集 139 よみ人しらず)

 ほんとの意味じゃないけど、さつきはあやめの匂いの残ってるところを嗅いで、あやめの帰りを待ってるように見える。

「ほととぎす鳴くや さつきのあやめ草 あやめも知らぬ 恋もするかな」(古今集 469 よみ人しらず)

 これもほんとの意味は違うけど、恋を知らなかったあやめの代わりに、さつきに恋をさせてあげたかったのだけど、手術しちゃったんだよな…。

「ほととぎす今朝鳴く声におどろけば君に別れし時にぞありける」(紀貫之)
 時鳥は過去を偲んで悲しげに鳴く鳥と考えられ、また「死出の田長(たをさ)」の異名があるように、冥界から訪れる鳥とも考えられたそう。
 なんだか悲しい謂れになっちゃうなあ。
 さつきに超過保護になっちゃいそう…。

「うちしめりあやめぞかをる時鳥鳴くやさつきの雨のゆふぐれ」(藤原良経)

「けふ来れどあやめもしらぬ袂かな昔を恋ふるねのみかかりて」(上西門院兵衛)



「しでの山こえてきつらむ時鳥こひしき人のうへかたらなむ」(伊勢)

「なく声にそひて涙はのぼらねど雲のうへより雨とふるらむ」(同)

「やよや待て山時鳥ことつてむわれ世の中に住みわびぬとよ」(三国町)

「ほととぎす来鳴き響もす卯の花の共やなりしと問はましものを」(石上堅魚)

「橘の花散る里のほととぎす片恋しつつ鳴く日しぞ多き」(大伴旅人)

「霍公鳥なほも鳴かなむ本つ人かけつつもとな我を音し泣くも」(元正天皇)

「いにしへに恋ふる鳥かも弓絃葉の御井の上より鳴き渡りゆく」(弓削皇子)

「霍公鳥無かる国にも行きてしかその鳴く声を聞けば苦しも」(同)

「なく声をえやは忍ばぬほととぎす初卯の花の影にかくれて」」(伝柿本人麻呂)

「古に恋ふらむ鳥は霍公鳥けだしや鳴きし我が思へるごと」(額田王)

「ほととぎすいたくな鳴きそひとり居て寐の寝らえぬに聞けば苦しも」(坂上女郎)

「卯の花の過ぎば惜しみか霍公鳥雨間も置かずこゆ鳴き渡る」(大伴家持)

「皆人の待ちし卯の花散りぬとも鳴く霍公鳥我れ忘れめや」(大伴清縄)

「五月雨物思いすればほととぎす 夜深きなきていづちゆくらむ」(紀貫之)

「五月闇ここゐの杜のほととぎす人しれずのみ啼きわたるかな」(藤原兼房)


「あやめ草涙の玉にぬきかへて折ならぬねを猶ぞかけつる」(弁乳母)

「いつくしき君が面影あらはれてさだかにつぐる夢をみせなむ」(相模)
あやめの花言葉は「良い便り」。

「五月闇くらはし山の時鳥おぼつかなくも鳴き渡るかな」(藤原実方)

「行方なくありわたるとも霍公鳥鳴きし渡らばかくやしのはむ」」(大伴家持)


posted by くらぽー at 18:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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