2005年06月29日

常夏の国の、愛は殺人者。「楽園」

 これについては敢えてストーリーについて語るのをやめときます。人によっては読めば意味がわかったり、思い当たる節があったりするでしょう。

 ただ、志麻子姐さんの書くことって、ほんと水みたいにサラサラと入っていくんだよね。これは個人的な差があるでしょうが。

 基本的にこの人とは考えることが似てるんじゃないかと思います。例えば、天国と地獄は、たったひとつの季節(夏)を通じて繋がっているんだろうということとか、故に夏至上主義みたいなところとか(“げしじょうしゅぎ”じゃないですよ)。

 実は、ってバラす必要もないんだけど、くらぽーも季節では一番夏が好きですね。あのめくるめくような暑さに、どこからともなく漂うゴミの腐臭。草は伸び続け、蝉は鳴き続ける。活動と停滞、躍動と倦怠。二つの相反した事象が、なぜだか背中合わせ、否いっしょくたになっている季節。

 それから、青春・朱夏・白秋・玄冬、ってよく人生を四季に例えたりしますけど、あれってイメージ先行だと、くらぽーはどうしても所謂“思春期”や“青春時代”が春じゃなくて夏な気がするんですよねえ。

 あのバイタリティや閉塞感、陰鬱さなんて不安定な時期(殿方の生理的欲求も一番高まる…汗)が、芽生えの春とは到底思えない。いつも何かに渇えている時期。

 よって、くらぽーの勝手に認定する人生の四季では、生まれてから第二次性徴までが春、それから20代後半〜30代前半(家庭を持って落ち着くまで)が夏、子どもが成人するまでを秋、それ以降を冬、じゃないかと思うわけです。どうも中年期を所謂“白秋のとき”とか“思秋期”とするらしいけど、子どもが生まれて家庭ができて、っていう方が実りの季節にはふさわしいような…だってほら受精は夏に(以下略)ま、確かに次第に冬になる晩秋は淋しい感じがしますけどもね。

 しかし、一番哀しいのは夏が終わる晩夏だと思います。収穫が終わった後の、どこかほっとしてしまう晩秋とは違い、ここで子孫を残せないものは枯れていくままの、ここで運命が決まるこわばった寒々しい季節。この「楽園」のヒロインも、「灼熱の夏が逝」ってしまった、まさにその「晩夏」的時期(年齢?)でした。

 とはいえくらぽーのこの分類は、生物としての人間の一生をサイクルとしてなぞらえただけで、個人の一生については言及するものではないんですよー。

 あと、きっとみんなこれを読めばデュラスを思い出すことでしょう。絶対意識して書かれてるし。

 流浪の愛の遍歴には、やはりエクリチュールという流れが似合います。ホラーの必要性は、ないです。まあ「必滅の恋の歌」ですからね。


記憶に残る一言(多すぎて書ききれないのですが):

「(前略)行って帰ってきた人はいないのに、誰もが地獄は極彩色に溢れていると知っているのはなぜだろう。そして天国もまた、そんなに色彩豊かでないことを、どうして皆がわかっているのだろう。」
「夥しい傷跡を隠さずに煌く街はあり、生々しい傷口を晒して輝く人々もいる。」
「私は、消えない夏が欲しい。」
「彼は(略)生きた者が持っていてはいけないほどの、清楚な匂いを漂わせていた。」
「よすぎて、私は悲しい。」
「恋愛は、最初から地獄にあるのよ。あなたは、知らないの?」
「それって、一番の地獄だよ。(略)最も苦しい地獄と天国。」
「違う。(略)あなたが雨だということです。」
「なんの、どんな共犯なのか。私達は。」
「そうして(中略)どこまでいくのか。」

「私には、どちらでもいいことよ。」


 そういえば、前にも書いた「神」と「犬」のモチーフが出てきてびっくりした。なんかくらぽーの思うことよりもっと深い意味があったのか…?(汗


posted by くらぽー at 05:02| Comment(0) | TrackBack(1) | 読んだ本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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岩井志麻子 『楽園』
Excerpt:  そんなに長くない本なので一日で読んでしまいました。 (下ネタばれあり。
Weblog: くろんの風
Tracked: 2005-08-13 23:33
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