2005年06月18日

リバイバルに首ったけ


 リバイバルブームですね。昔の漫画「エースを狙え!」や「アタックNo.1」がドラマ化され、「冬ソナ」による純愛ブームがついに日本の本家純愛ドラマ「赤いシリーズ」を復活させてしまったらしいです。で、このリバイバルブームを探るうちにやっぱりという理由を見つけてしまいました。


 ちょっと遡りますが、食うことと寝ることしか井戸ですることの見つからなかったくらぽーは、高校で読むのをやめてしまった漫画を再び読み直すことに。
 
 そしたら、これがけっこー面白い!「輝夜姫」という漫画は、つい最近連載終了してしまったものですが、いつのまにやら講談社漫画賞も受賞していた近年まれに見る名作です。ついてはぐぐってみれば大勢の方が語ってらっしゃるのでここでは割愛!

 何がすごいってこの物語。誰もが知っている「かぐや姫」がモチーフとなっているものの、こういうSFってなかなかないですよ、少女漫画には。登場人物もみんな美少女・美少年(一部除く)だし、現実逃避にはもってこい!(笑

 さらに、「ときめきミッドナイト」というものを買ってしまいました。これはなんというか、「ときめきトゥナイト」の作者によるセルフカバーというかセルフパロディ化した作品です。

 開いた時は、絵が現代風になってて、最初はうわー(汗)だったんだけど、読み進めるうちに記憶の中の「ときめきトゥナイト」の世界が広がり始めて、まさにあの頃の“ときめき”を感じるようになりました。

 実は、くらぽーが小1で最初に読んだ漫画が「ときめきトゥナイト」だったんです。で、「あー、足りなかったものはこれだ!!」と震えてしまったというかなんというか(笑

 まだ恋も知らなかった頃のくらぽーは、彼の態度に一喜一憂する主人公に感情移入しまくりで、一緒にドキドキしたり泣いたりしてたわけです。いつのまにかこういうときめきとか失くしてたなー、と。純粋な乙女心というか。でも絶対20代の女性なら間違いなく読んでるでしょ?(そして多分、3部の途中でドロップアウトしてるはず、笑)

 読んでみるとなんかリフレッシュしますよー、と共におばさんたちが「冬ソナ」で取り戻したかったのはこれかあ、って納得します。(だから10代の子どもには「冬ソナ」が受けなかったんだろう)ちなみにオジサマ方は漱石に青春を求めているのだとか(「サライ」5月号より)。

 しかしこの「ときめきミッドナイト」は現代の少女たちにちゃんと受け容れられてるのかは謎…。
おそらく、作者の心残り解消のためのもんなのかもしれないけど、でも子どもの頃の素直な感動がそのままちゃんと追体験できただけでもすごい意味があったんじゃないかと。

 で、なぜかとあるところで実写版の配役談義をしてたので、くらぽーも勝手に配役してみます!実年齢とかは無視で(爆


 ちなみに、「輝夜姫」の方は配役できません。だって、絵みたいにきれいな美少年とかって、あんまりいないじゃないですか!最近は漫画に現実が追いついてきた気は多少すれど、誰がやっても不満かと…。しかも外タレ続出だし。

 ヒロインの晶も、男も女も惚れてしまうようなタイプって、どうしても宝塚系?になっちまう気がするんですけど、だから、天海祐希みたいな感じかなー、って高校生役は流石に無理だしね…(汗

 作者はショートの頃の内田有紀がモデルだったそうですが…手足が長くて中性的って、今だと石川亜沙美くらいかしらー。うーん。栗山千明に思い切ってショートにしてもらったら?ハリウッドにも顔売れてるし、国際映画にもいけるかも。

 でも、あと、似た顔の役者さんを揃えないといけないし(そういう意味では「セカチュー」映画版では森山未來くんと大沢たかおさんはすごいぴったりだったなあ)現実的にかなり無理です。あっ、サットンは池内博之がいいかも!意外と「ごくせん」とか「ウォーターボーイズ」系をさらってみれば出てくるかもしれないけど。

 アニメにならできそうだけどな、SFだし女の子だけじゃなくみんなに観てもらえそう。でもくらぽーは、声優さんにはさほど詳しくないので(別の作品の声と同じ人だ、くらいは解るんだけど)、リストアップは断念します。声を思い出すこともできないし…(笑

 さて、眠れないときは昔読んでた漫画をもう一度開いてみてはいかがでしょう。忘れてた新鮮な気持ちが、蘇ってくるかもしれませんよ☆初心、忘るべからず!続きを読む


posted by くらぽー at 05:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 読んだ本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月11日

のどかな戦争「おお、大砲」


 北朝鮮が、またミサイル撃って届かなかったらしいですねぇ。アメリカじゃロボットが攻撃する時代なのに。ある意味笑いを誘うニュースですな。しかし笑ってはおれない大変な事故もあって、なかなか落ち着かないですね。亡くなられた皆様のご冥福をお祈りいたします。合掌。

 それでミサイルですが、唐突にこの話を思い出しましたよ、大砲の話。なぁんてタイムリー(てか最近飽きて話題が移ってたしなぁ)。日本にもこんな“いくさ”があったとは…(^_^;)

 近世は不思議なおかしな時代だったんですねえ。作品全体的には前出の「蝉しぐれ」のような雰囲気。でもちゃんと江戸末期という時代設定が活かされている。だって「蝉しぐれ」のような話はいろいろ置き換えたりすれば古今東西きりがないでしょ?(いや、別に恨みはないです素直な感想)それよりもっと大局的な、時代の空気とかが感じられるのがいいんです。視点をどこに置くかは個人によるかと思いますが。
 司馬作品は、歴史になんの名も残さない人々が知らないうちに歴史に関わっている、というのが新鮮なの(くらぽーには)。そうするとやはり「蝉しぐれ」は時代もの、司馬作品は歴史ものということがはっきりしてきたかも。いや、別に「蝉しぐれ」の悪口言いたいんじゃなくて〜!(>_<)
 しかし、この作品中一番の不思議な味わいの作品。前作「割って、城を」が「運命に似せた策略」なら、こっちは「必然が偶然を呼ぶ」とでも言いたげな“合縁奇縁”の話。そして、主役は人間じゃありません、タイトルどおり大砲です。だって、冒頭が

「むかし、(中略)ブリキトースという威力ある大砲が居た。」

なんです。もちろんそれは、すぐに「居た、としか言いようのないほど、それは生きもののような扱い」を受けていたってことなんだけど。でもくらぽーは巌として大砲をめぐる幕末奇譚だと思います。
 ちなみに“ブリキトース”とは、“ブリキ”はそのまま金属のブリキ(オランダ語らしい、初めて知った)なんですが、“トース”ってのはそのまま“徹(通)す”で、「ブリキをもとおす」という世にも珍妙な和製語なわけです(笑
 で、物語のあらましは、主人公は少年のときに大砲に出会う。200年ほども使われないまま鎮座ましましている「無用の長物」に大した感慨もなくそのまま月日は流れていくわけだけど、兄が家督を継いで部屋住みも面白くないので、叔父から免許された「食えない刀法」金峯古流をうっちゃって医学を学びに大坂(今の大阪)に出ることに。そして、今は人妻となった幼馴染との再会。われこそは金峰古流の継承者と名乗る男。流転の人生に、大切な女性の存在と、男の人はこういうのがきっと好きなんでしょう、ハーレクインみたいなもんでしょう(p
 でもここでは幼馴染との共通の記憶は「蝉しぐれ」に比べるといくらか即物的で、ヰタ・セクスアリスのような部分もあります。ここにはちょっと…書けません(羞
 まあその後の展開もだいぶ違ってくるのでよしとしましょう。っていうよりむしろ、こっちの方が本当にあったかもしれないような、リアルさに満ちています。
 この後、主人公は巡り巡って大砲とも再会してしまう、未亡人となった幼馴染とも。そして、政情は尊王攘夷運動が高まり、城の攻防戦に主人公も大砲ともどもかり出されることに。さてなんとも間の抜けた戦が始まります。このへん、「鬼謀の人」にも似てるかも。
 大砲の扱い方が笑える。家康の時代以来誰も撃ったことのないものだから、まず「うまくあたってくれればよいが」と思う主人公。実弾が「ごろごろと」砲口から転がり込んでいく。そしていよいよ撃つ時になってみると、六家がそれぞれ持っていた大砲は火薬の調製が伝え誤っていたり大砲自体にひびが入っていたりで、主人公の家の以外使い物にならない。
 合図とともに、「轟然と砲口は火をふき、鉄丸は天高くけし飛んだ」ものの、「敵の先鋒のはるか上を飛びぬけて丘の中腹に突きあたり、ごろごろと坂をころがりだした。」
 って飛びすぎじゃん!なのに(しまった。飛びすぎた)、「薬が強すぎた」と冷静な主人公。一方、砲声に驚いてくずれ立つ敵軍。「よいか、砲身が裂けとぶまで射つのだ」って、あんさんそんなことしたら自分の身も危ないがな!大丈夫なのかーこんなんで!くらぽーの脳内では既に「すごいよマサルさん」みたいな状況になってました。
 続けて、鉄丸を真赤に焼いた「焼き玉」を撃つ。ここがもういけなかった。これが「野小屋のワラ屋根にごろりと落ち」、白煙をあげると敵が「どっと」崩れたち大将ともども算をみだして逃げ出した。なんかこの間抜けなひらがなオノマトペの連続に腹がよじれてしまったくらぽー。まあこのとき高熱だったのであたまがおかしかったのかもしれませんがね。 そして半刻で終わってしまった攻防戦。あっけなさすぎ…。
 さらにまた月日は流れ、いくつかの後日談(エピソード)であっさりとしめくくられます。しみじみとした余韻はさほど残らないけど、攘夷だー安保反対だー反日だーと言ってる連中を尻目に、

「侍のころは、ばかばかしいことが多かったな」

と言う主人公の姿には憧れます。あと、めずらしくオカルトっていうか神秘的運命論みたいなとこもあります。

記憶に残る一言:「六年たてば、たれでも大人になります」
        「運命というものは、かならずしも穏やかな人物に、
         穏やかな運命を与えるとはかぎらなかった。」
        「人間の能力のなかで、環境の順応力ほどふしぎなものはない。」
        「この制度は人間や身分を数百年間、制度のカンヅメに入れてきただけでなく、
         大砲までをカンヅメにしてきたのである。」

 今ごろになってなんだって感じですが、関西には友人が多いので、ちょっと心配でした。すぐに確認できなくてごめんね。みんな無事でよかったです。
posted by くらぽー at 22:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 読んだ本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月27日

この変な作家はまだ世界のどこかにいるのです、多分。 「となりのカフカ」

 いろいろと予定変更してお送りしております「くらぽー深夜便」、司馬遼太郎短編集はちょっとお休みして新作のご紹介。

 いやー、久しぶりに小説以外のもの読みましたよ。しかもドイツ文学者によるカフカ入門、なんてむずかしそ!
 でも意外に小説並に面白かった、と思うのはきっと筆者に作家志望があった、と思わせる筆致から。やはり文学を志す者、多少の筆すさびは嗜みのようで、一つの作家論は文学者による小説と言えなくもない。なんて、一介の教授捕まえて不謹慎ですよねf^_^;
 まあ畑を出てしまった身として感じるのは、評伝系は結局筆者の頭の中の物語になってしまうのではないでしょうか。実際は面白かったんだからよかったですよ全然。

 形式としては、一般的なカフカのイメージを払拭すべく様々な“人間カフカ”の側面を章立てて講義する、ってなもんです。働く公務員カフカ、恋する青年カフカ、家族との関係に悩める息子カフカ…カフカが笑う!泳ぐ!××する!いやそんなことまでわかるわけはないんだけどね、水泳得意って証言あるんで。難解なニヒリストはどこへやら、真面目で奥手で繊細な男前が恥ずかしそうに隣に座ってるだけです。萌え〜(笑
 ただカフカ、意外と色恋沙汰が暴露されてて、当時の世相や風俗も影響するでしょうが多少閉口します。19世紀末の持つ退廃した雰囲気それ自体はお気に入りなんですけど、そんなに安定した家庭が欲しかったら最初の彼女もっと大事にしゃあええのにとか思います(しかも5年付き合った間2回も勝手に婚約破棄をして、しまいには逃げられている)。まあもう少し長生きしてれば家庭は夢じゃなかったかもしれない、という筆者の慰めが身に、いや心に沁みます。(爆
 ものすごく気になったのは、「犬的なもの」が欲しかったってところ。その気持ち解る!解るんだけど…(^_^;)それを人間に求めるのはどだい無理ってもんでしょう。いつも自分を「忠実に待って」くれ、「締め出しをくらわしても文句を言わない」で「自分が望むとき、いそいそと跳びついてきてくれる」、そんな人はお浄土にしかいませんから!所詮この世にいるのは凡夫。しかも「うるさければ表へ放り出してもいいし、ときには足蹴をくれてもかまわない」、うーん、これで怒らない人はお浄土にもいるかどうか?おったら仏様や〜(なむなむ)

 そういえばこないだのオンエアバトルで、理想のメイド(もち脳内)をなぜか相方に頼んでやってもらうというすごいネタがありました。ありえない台詞の数々が、実演すればとってもイタキモな代物に。きっとこのメイドさんは猫耳で髪の毛はミントグリーンとかなんでしょうな(なんで詳しいのかって?そりゃくらぽーの周りは昔からアキバ系が跋扈しておったからですよ、ふんだ!)
 にしてもアキバ系も全国知名度高くなったもんですが、驚いたことにその人はスカジャンに「萌え」って字が入ってたんですよ。名乗ってる…!リュック背負ってシャツの裾を入れるよりわかりやすい…。一気に状況説明もできるつかみもよかったね。しかし相方を「女湯の番台のアルバイト」で釣ってたんだけど、自分がやればいいんじゃ…?そゆところにこだわるから現実の出会いを失うんでしょうかね(銭湯でなんの出会いがあるのか知らんが)。
 これってカフカにも当てはまりそう…。最初の彼女にはほとんど毎日手紙を書いていた(遠距離だったせいもあるが)というカフカ。ちょっとストーカーじみてる気もしますが、この熱情はなんだったんでしょうね。所詮恋に恋してただけなのかな。会ったのは五年間で数えるくらい、しかも手紙に反してカフカの方が会うことに消極的だったわけだし…不可解なり!どうも異性を手紙用(純愛)とベッド用(えーと…)に分けて考えていたようだし…(汗)自分が結婚向きではないと思った瞬間、結婚への道は遠くなるでしょうかねえ。
 ただ、独身と結婚の二項に分けて利点を比べているところでは確かに考えさせられるものがあります。

 ―書くことこそ自分の“務め”であって、これに邪魔立てするものは拒まなくてはならない。結婚は逆に大いに手助けしてくれるかもしれないが、その種の危険の可能性に変わりはない。小説を書くことこそ自分の人生であって、これまでほんの少ししか成功しなかったとしても、書くことを邪魔立てしかねないものは、やはり拒否するしかないではないか―

と父親にも主張しています。“男は結婚して一人前”というユダヤ社会では理解できるものではなかったでしょうが。また恋人が小説にかかずらっていると不平をもらしたとき、

「長編小説はこのぼくであり、ぼくの物語はぼくであるからには、どこにいったい嫉妬の余地はあるのだね」

と手紙を書いたり、これまでの日記をそっくり渡して

「日記から、私といいう人間のもっとも大切なことがわかりましたか?」

と訊いてみたりしている。この人にとっては、書くこと自体が生きることだったのだ。
 しかし他の男と結婚した後も全ての手紙(なぜか最初の婚約破棄から再婚約までのものは除いて)
を保存していた彼女の方も不可解ではありますが。
 閑話休題。で、この本では結構カフカの作品も解説があるんですが、なんかやっぱりカフカが身近になった分、俄然読み方も“少しシュールな不気味な作品”から“トリッキーなブラックユーモア”って感じに変化しました(え?あんまし変わってない?)。だって『変身』でもものすごく真面目に悩む主人公の姿が少しおかしくって可哀相になってくるんですよ。これはカフカが自分の日記を作品にしていたという視点だと特にそうなります。漫才だって、本人真剣に見えるからこそ面白い。
 あなたも、ちょっとおかしなカフカの世界にはまってみましょ?

 余談ですが、くらぽーの小学校時代の同級生のお母さんは、いつも幼女連続殺害犯宮崎某とあのアニメ界の巨匠を混同してました(実話)。まだちょうどト〇ロとかやってたくらいの頃でしたかね…。
 
 記憶に残る一言:「病は病によってのみ癒される」(日記より)
         「でもこの人はあなたを失っても、たとえばわたしが取り代わっても、べつに
          さびしく思わないわ」(『審判』より)
         「やすらぎを失うことを知りながら、(中略)抱かずにいられない。怯えなが
          ら、この上ない幸せがあった。」
         「往きつ戻りつの迷いはあっても、最後の出口は決まっていて、拒まなくてはな
          らない」(『父への手紙』より)
posted by くらぽー at 01:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 読んだ本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月16日

茶碗が狂わす運命「割って、城を」

 一番地味だけど、一番お勧めかつ映画にして観たい作品。イケメン俳優に801に、腐女子もきっと喜ぶでせう。でも相手がおじいさんじゃ…(以下略)はい、本筋とは何も関係ありませんので先に行きましょう。

 お茶は一度はやってみたい習い事だけど(お花は経験あり)、「数寄」の趣味は全然興味なくて、最初は茶碗を繕う技術の描写とかも“こんなん読んでもさぁ…”みたいだったのが、二回目読むと何やら世界がきらめいていく感じ(きらびやか、とはちょっと違う)。あの、昔ジュースの○ooでやってた部屋の壁が四方に倒れて宇宙とつながるCMは、そういう「茶」の本質をついてたんだと思う。
 そして、もう一つの感想が、主人公と同じく「茶とは、おそるべきものじゃ」、「これは魔道だ」。「合戦とおなじほどの胆力を必要と」しながらも、「おのれのいのちを曝してゆくむこうに(中略)爽やかな天地があるよう」な合戦とは違い、

「見きわめれば、ついにどこかに墜ちるのでは」

と百戦不敗の武将をして戦慄さしめるほどの茶人武将、古田織部正の独特の美学。順風満帆な人が「きずやいびつの中にこそ」美しさを求めるなら、いびつな人間ほど完全な美を求めるのかもしれない。でも、くらぽーが思ったのは、やっぱりもともと織部にはそういう歪んだ面があったのでは?ということ。ほら、よくいるじゃないですか、すごいにこにこしてるのに眼だけ笑ってない人。魔術師織部、謎の男です。
 しかしこのタイトル、変わってますねえ。茶碗を「割って、城を」、どうするんだろう。この後に続く言葉は何だろう。ヒントは、

「茶人とは、千軍を駈けひきさせる大将以上に豪儀なものじゃ」

という主人公の呟き。そして織部の「狂気に」近い目論見。その“出会い”は本当に、「遠い昔の恋」に似ていたのだろうか?
 黄金の入った茶器がメタファーとして全てを語る。主人公がいつのまにか織部の人生に、茶器の中の黄金のように取り込まれている。人生に自ら罅を入れた織部。それを補綴する黄金としての役目を見事に終えた主人公。深すぎる。

記憶に残る一言:「あれは傲りでございます。」
         「武士は、しょせんは名聞の餓鬼にすぎぬ」
         「なかなか、人間、焼くまでは変わらぬものだ」
posted by くらぽー at 18:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 読んだ本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月28日

“Wanna be your dog, wanna be your god”「人斬り以蔵」

 はい、大事なものは最後にとかって勿体ぶっときながらもう表題作ですよー(^_^;)
 タイトルはどういう意味かって、“dog”は“god”に置き換え可ってことです。元ネタは“筋肉少女帯”(まさかこれが脳髄から浮かび上がってくるとはなー)の曲の歌詞(タイトル忘れたし知ってる人がどれだけいることか)なんですけどね。おお、なんか今日はコアじゃんくらぽー(笑
 ってさらによく分からない人、本作読めばちゃんと分かりますから。いかに“犬”が“死神”、もしくはある人々にとって運命の“神”(しかも呪われた)になりえたか、っていうことが。ちょっと今回キメすぎ?えーと、ある人の言を借りれば「ドMはドSと振れ幅は同じ」みたいな、あれ、違うか?(>_<)

 えー置いといて。実はくらぽーの岡田以蔵に対する思い入れは遡って小学4、5年の頃に始まります。今は無きとある番組のスペシャルでなぜか紹介されていた岡田以蔵。多分坂本竜馬や新撰組に先に出会っていればまた違っていたような気もしますが、生きざまは子供心に妙に強烈でした。詳しい内容は何も覚えていないのに、とにかくすぐさまノートに名前をメモってました。歴史上の人物に初めて興味を持ったわけです。職業殺人者・暗殺者の悲哀(しかも本人はそう思ってない)にも。
 そういえばくらぽー、映画でも「アサシン」「ニキータ(こっちのが先か)」「暗殺者」とか好きですね。ジュード・ロウの「スターリングラード」も、コピー共々(確か『愛する君のために僕は今日も一人ナチを撃つ』とかそういうのだった)よかった。漫画「幽遊白書」の“狙撃手”○○要君は昔高校の友達が好きで、その子が描いたストーリーが今も記憶に残ってる。ちーちゃん、今どうしてるかな…。
 さてさて、しかしながらこの司馬作品はくらぽーのニヒルでアナーキーな以蔵像を見事にぶち壊してくれました。ええ、ぶち壊しですとも(T_T)やってくれるよ司馬さ〜ん(勝手な話だ)
 でもまあ、前々回に書いたように三谷幸喜が「新選組!」の番外編の同時代ものを作ってくれたらその中の1エピソードとしてはありかな、と。既に司馬作品「竜馬がゆく」はテレ東でドラマ化されていて以蔵の話も観たんだけど、今の案としては主役は武市半平太たち土佐勤皇党で。彼らの命運を握るのが実は…って感じで最後の数日間をブラックな笑いでやってほしいかな。たかだか数行のところがそこだけでなんとなくてんやわんやになりそうな気がして。
 ただ、一つ読んでて思ってたのが、以蔵は(司馬作品の中の話だけれども)本当に愚鈍だったのかということ。「俊才は愚鈍者を理解できない」という箇所で、愚鈍者は自分のことを愚鈍と気づかない人のことじゃないかと。確かに以蔵は浅薄かもしれないが、以蔵は己の知能の暗さを知っていて「自分の正義や論理を口で表現することはできな」かったからこそ「常にたれかに」思考を「あずけ」、「殺人で論理を表現してい」たのではないか。そう考えると愚鈍という言葉は遣わない方がいいかもしれない。剣は左脳(論理)ではなく右脳の範疇だから、左脳を使えるだけが有脳(敢えて能じゃなくて)じゃないんじゃないかと。昔誰かが言ってたけど武士はオールマイティ的アスリートだったみたいな話もあるし。でもなんだか段々時代が逆戻りしてるんじゃないかなあ。今じゃちょっとしたこととかでしょっちゅう“刃傷沙汰”も起こるし、新撰組だって国内テロ鎮圧部隊だったわけだし。
 「時代が生み出した畸形児」って言葉はかっこよくて好きだけど、実際はいなくていい…(汗

 記憶に残る言葉:「甘美な、いや、物狂しいほどに甘美な心境だった。」
 
 あ、ここだけ引用するとあやしくなっちゃった。

 えっ、くらぽーはMかSかどっちかって?ふふふ、相手によりますよ、ただし振れ幅小で(爆)
posted by くらぽー at 19:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 読んだ本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月23日

どこかにいた人「鬼謀の人」

 前回はテンション高くて疲れました。えー、今回は一編ずつぼちぼち書いてこかなと。

 「鬼謀の人」と書いて「きぼうのひと」と読む。「おにぼう」じゃないよ。「常人の思い及ばぬようなすぐれたはかりごと(←なんで平仮名ばっかり?)」(広辞苑)という意味らしい。
 この大村益次郎って名前は聞いたことあるんだけどよくは知らなかった。大村益次郎には別に長編が存在してるかもしれないです。もともとタイトルに惹かれて買い短編とは気づかなかったので、「なんでこんな知らん人の話を読まんといけんのんじゃ」とか苛々しながらも大事なところはあとに取っておくってことで読み始めたわけですが、それが意外におか面白い。
 物語は何やら淡々としてます。これは全編を通じてそんな感じなわけですが(^_^;)日本近代史の諸葛孔明と呼ばれた(かもしれない)男の半生です。変哲な感じの無愛想な学者です。マニアにはたま…るわけがないだろう。萌えもしません(きっぱり)。ただひたすら客観的にinteresting、funnyではないけど。でもこの人の語りの妙は、その客観性から生まれる。平仮名(和語とでも言えばいいのか)の多用も面白い気がする。気づくとぷぷぷ笑いやにやにや笑いはできるんじゃないかな。三谷幸喜のシチュエーションコメディにも似たものがあるわけ。同じく時代もので引っ張ってくると「新選組!」の「寺田屋大騒動」の回とか、まああそこは笑わそうと思って書いてるんだけど。
 歴史上の人物で作る一つのパロディというか、司馬センセイの「燃えよ剣」も読んだわけじゃないからそこまで主張はできないですが。
 例えば、長州藩に迎えられたとき、総司令官となった大村は馬に乗れないため「浴衣がけ」に「ワラ草履をつっかけ」、洋式軍の中を「ウチワをばたばたと叩きながら歩いていた。」これを見た藩主の毛利敬親が「あれでやれるのかねえ」と心配そうにたずねたという風になっている。なんで現代語?
 また天皇の前で観兵式を兵を立たせた洋式でやろうとすれば、貴族が

「兵を立ったままで拝礼させようと企てておるちゅうが、そらあかんぞ」「そら、あかん、あかん」

とケチをつけてくる。なんか貴族っていうか、ちっさいおっさん池乃めだか?まだあるかもしれませんが想像力でいくらでも遊べそうです。是非探してみませう。

 記憶に残る一言:「弾道論とおなじだ。人の世も、数式どおりにはいかない」
         「人間が戦場に出たからとて、そうめったに鉄砲玉にあたるものではない。
          またあたればそこで勇ましく死ぬまでのことではないか」
 このドライさ・大胆さ、シャーロック・ホームズ(特にBBCドラマの)に通じるものがあるのではないでしょうか。桂小五郎がワトスン役してくれたらもっと活躍できたかもしれないのにね。
posted by くらぽー at 21:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 読んだ本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月20日

「キネコミカ」

 昨日観たドラマのチェ・ジウはブラを透けさせ胸を揺らして走りまくるシーンが延々、いやー、これってそういうドラマだったんですか。

 さて今日は映画を愛する人なら一度は読みたい(もちろん勝手に決めてる)「キネコミカ」というまんがです。これは、なんといっても一粒で二度おいしい映画パロディ満載なのです。
 これをプレゼントしてくれたひきこもり人さんは、笑いが一番と言いたかったんだろうな。血糖値下げるっていうし、何より頭空っぽにして逃避できるからね。いや、別に映画好きなら誰でも楽しめるはずなんで!(^_^;)
 くらぽーは大概の元ネタ観てたんでどれもそれなりに面白かったんですが、一番笑ったのは実は観てなかった「ベン・ハー」でした。観てなくても見所は馬車レースだって知ってて、だからまさかあんなところがパロディになるとは。あれ実際にやりたい人多いんじゃないかな、経済的にも効果あったりして(笑)こないだ本編観てその場面で思い出してまた笑ってしまった。注:本編はまじめな時代ものです。
 あと読みごたえあったのは長編「風とともに去りぬ」。南北戦争が西南戦争になってた、って言ったら想像ついちゃいますかね。主人公の(思いこみの)激しさがよく活かされてました。
 んー、やっぱりギャグはしゃべりすぎるとネタバレするからつらいね。
 しかしこの作者天才だ。続編なんてないのかなあ。最近の映画はパロディしにくくなってるし、映画自体リメイクとか二次作品の場合が多いしなあ。
 どんなにTVの数が増えても画像がよくなっても、映画ってメディアはなくならないと思うけど、面白い映画は少なくなってきた気がします。

 「キネコミカ」、まず読んで映画観る邪道もまたよし。
posted by くらぽー at 14:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 読んだ本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月18日

すごく、怖い。「ぼっけえ、きょうてえ」

 はい、今日の本のタイトルはそういう意味です。岡山弁だそうで。
 帯には、「あ、鳥肌が。」このコピーもうまいと思った。ああいう文句っていつも誰が考えてるんでしょうかねえ。これを読む気になったのは、作者の岩井志麻子姐さん(なんか姐さんて感じだよね、笑)が最近TVで生い立ち紹介されてたのでちょっと興味持ってしまって。

 短編4つのうちやっぱり出色は表題作でした。なんたって映像化不可能(したら逆に面白くないし)なんだもん。これは読むしかないでしょ。
 くらぽーは中国地方出身なんでなんとかわかりますが、岡山弁がわかりづらい人もいるだろうし、もう、意味不明のあやかしの世界に迷い込んだ感じしないですか。なんかホラーって言うほど怖くないんだけど、つまり物語が想像を遙かに超えたところにあって、今昔物語とか説話集の類より遠いような。まさに見たことのない世界、地獄そのものというか。案外地獄はこの世と地続きなのかもしれないですね。あっ、これは怖いわ(^_^;)

 逆に、映像化できるなあと思ったのは2作目。モノトーンな前作と違って、毒々しいカラーに彩色された、視覚的にもものすごく訴える。
 さて勝手にキャスティングなど考えてみたけどいかがでしょう。
弘三…渡部篤郎
トミ…りょう、中谷美紀、木村多江
お咲…りょう、長谷川京子
 …りょうは2役?どっちも似合いそうだしな。ハマりすぎかも。最近悪女づいてる長谷川京子は既にドラマW「自由恋愛」出演済みだしなあ。そういえば、この作品にも対照的な二人の女の間にはさまれる男というテーマが遺伝子みたいに残ってますね。これ観て木村佳乃(この人も最近悪女づいてるよな)もトミいけるかと思ったけど、多恵さんの方が似合いますね。というか、多恵さんかなり好きなので(w

 3作目はものすごく深い群青、冷たい深海の色だな。実はくらぽーにとって一番怖いホラーでした。だって想像すると怖すぎ!(>_<)ちなみにくらぽーはホラー映画は絶対観ません。特に夜なんか夢見そうだから(;_;)、観る時は昼間に「これはフィクションだ〜、作りものだ〜!」って気合い入れて(笑)観ます。でも観たのは「かまいたちの夜」と「リング0」だけです。あとトリアーの「キングダム」シリーズ(S・キングのじゃない方)もちょっとだけ。「トリック」もわざわざビデオに録画してたもんな。

 4作目はあんまし感想ないな。無理やり作った感じがして。タイトルのつけ方はうまいと思ったけどね。やはり姐さんの人生が一番すごい作品でしょう。これからも巷を賑わせていくのを見守るとしますか。

 記憶に残る文:「男は(中略)通じとる地獄が好きなんじゃろう」
 さてどこが地獄に続いているのかは読んでみて下さい。

 あっ、今分かった。一番怖いのは、志麻子姐さんの描く“女”の姿なのかも。
posted by くらぽー at 16:48| Comment(0) | TrackBack(2) | 読んだ本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月16日

純愛ブームがまだ続いてますが…「蝉しぐれ」

 最近読んだ本を思い出した順に書いてみます。

 くらぽーの住んでる井戸には、キングやクイーン(つまり年が多い方々)がいらっしゃるので、勢い時代劇がよく流れてるのですが、それで年末に「蝉しぐれ」のドラマの総集編を観たんです。
それが(ドラマとしては)結構よく出来てたと思って連れに話したら、原作を読みなさい、あれは面白いと。
 でもなんか読んでみて、ドラマとイメージの違いにちょっとがっかり。
 普通逆かもしれないけど、ドラマの方がわかりやすい上に感情移入しやすいからだろうか。なんだか「冬ソナ」と変わらないんじゃないかな、と。
 まあ筋としては王道的にとてもわかりやすく、でも物語の最後におまけみたいに初恋のある結末が示される。
 もちろんこの初恋自体は物語の通奏低音みたいに主人公の心にずっとあるわけで、それが人生の華であり影であり、滋味ともいうべきものなのかもしれないが。

(以下ネタバレの可能性ありです!)

 純愛のシチュエーションとして初恋って理想なんだろうし。でもそれゆえにまさに男のための「冬ソナ」の感が否めない。ただここが純愛というぽいんとが男と女で分かれるのだな、ということが如実にわかるこの2作品。女の立場から「蝉しぐれ」作ったら、やっぱりメロドラマにしかならないんだろう。まあ、要は“恋は遠い日の花火ではない”(長塚京三が昔出てたCMより)と思いたい人たちのためのお話ってことで。つまりどっちもどっちですね☆
 「蝉しぐれ」はそんなものとは違う、という意見も聞いてみたいです。ドラマ見てからだからさくさく読みすぎたのかもしれないし。でも、食わず嫌いのくらぽーに、時代物っていいなと思わせてくれる雰囲気はたっぷりでしたよ。

 にしても、原作があるドラマや映画ってやっぱり作り手の思いがこもってる分、作品として厚みが増すこともあるんじゃないでしょうかね。去年一世を風靡した“セカチュー”も、原作よりは二次作品のがよく出来てるみたいだし(あくまで個人的な感想)。ただ、先に原作を読んでしまうと、読んだ側のイメージと作り手のそれにギャップが生じてしまう、と。
 だからくらぽーはハリー・ポッターシリーズも映画観てから原作読んでます。原作読んでからだと「あ、あそこ飛ばしてる(;_;)」なんてのがないし逆に「へー、こんな場面があったんだ(^_^)」ってなんか得した気分になるので。
 こういう読み方は邪道かな。逆に原作読んでたら観る気しなくなるからなあ。
 たとえにしたら、原作を読むのは白い紙に絵を描くのに似てて、映画は塗り絵を渡されるって感じかな。大体出来た塗り絵に自分で絵を描き足すことは出来るけど、自分の描いた絵に塗り絵は重ねられないしね。そういう意味では久しぶりに自分で絵を描くことを思い出させてもらった感じもあります。やっぱり本は読まないとね☆

 ところで今年の純愛は“きみよむ”らしいですねえ。新聞で原作の紹介を最初に読んで、読んでみたいなあと思ったんですけど、そしたらTVで映画の紹介があって。どっちを先にするべきか悩むなあ。いや、そもそも純愛なんて縁のないもの近寄らない方がいいのかも…。
posted by くらぽー at 13:13| Comment(2) | TrackBack(0) | 読んだ本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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